徒然日記

映画、小説、日々の生活などで自分の感じたことなどをその時の気分で書いてます。

映画「ブラック・シー」のあらすじと感想

お久ぶりです。
今回は久々に映画の紹介・感想をだらだらと書き綴って行きたいと思います。

映画のタイトルは『ブラック・シー』。個人的なハゲなのに魅力的な三大俳優の一人で、ペプシのCMで鬼役として出演もしたジュード・ロウが主役の映画です。(ちなみに残りの個人的なハゲなのに魅力的な三大俳優はジェイソン・ステイサムニコラス・ケイジのお二人です)

以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。

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ご都合主義? そりゃそうよ!

こんばんは、初心者です。

さっそくですが、今話題の某アニメ映画の批評でも良く見かける「ご都合主義」というこの言葉。
自分が見てきたなかでは、映画、ドラマ、小説、マンガ等々、物語性を持った娯楽作品におけるレビューなどで専らマイナスな面を伝えたいときに使用される事が多いように思います。

僕も使う事があるのであまり強い事は言えないのだが、フィクション作品を評する時のこのご都合主義という言葉は、実はあまり好きではなかったりします。
なぜなら、物語性を持つ作品は全てご都合主義で成り立っているからです。

例えば有名なバスケットマンガ。
主人公が入学した高校が、普通の公立高校にも関わらず、たまたま全国クラスの選手が揃っており、監督も知る人ぞ知る有名な監督。そして自身も、バスケット未経験ではあるが天才的な才能を持っており、数か月でそういったトッププレイヤー達と互角に渡り合えるようになる。

例えば有名な魔法少年の映画の一作目
主人公は特別性の箒や透明マントなどの有能アイテムを付与され、その世界に存在するとある競技で自身の活躍により見事勝利を収め、しかも自分たちが言いつけを守らずに起こしてしまった事件を自分たちで運よく解決したならば、言いつけを破ったお咎めは無しで事件を解決した部分だけがフィーチャーされ、特別にポイントをもらい寮杯でライバル寮を抑えて一位となる。

例えばスマホゲームにもなっている聖杯を巡るノベルゲーム
12回死んでも大丈夫という能力を持った敵に対し、残り7回も殺さなければいけないところを、たった一撃にて七回倒すことに成功――ぶっちゃけ一撃で幾らダメージを与えても、それはただのオーバーキルなだけで殺せる回数は1回のみだと思うの――したり、普通の人間ではどう足掻いても勝てないとされている存在に対し、相手が油断・慢心しているという理由から、人間である主人公が見事勝利を収める。

これらはどれも人気があり、同時に作品そのものの評価も高い作品ではあるが、文面としてこのように書くと、それがどれだけご都合主義で成り立っているのか。そして、ご都合主義と物語の良し悪しはそこまで相関関係はないということがお分かりいただけると思います。

そもそも、物語からご都合主義を取り払ってしまったら、それはもう物語として機能しなくなってしまいます。
物語上に存在するキャラクター、そのキャラクターを取り巻く環境や、キャラクターの周囲で起こる事件(出来事)など、それら全ては物語を進行させるための舞台装置に他ならないからです。

ご都合主義がなければ、バスケマンガの主人公は只の不良として高校生活を終え、魔法少年は自分を引き取っていた叔父叔母とその子供に虐げられ続け、未来で英雄となる青年は少しばかり英雄願望の強い男性として一生を終えることでしょう。

まあこれは極端ですが、やはりもし自分が天才的な才能を持っていても、それを伸ばしたりしてくれるライバルや指導者が居なければ話は進まないし、現実的な思考をして言いつけを守らなかったため減点したためにライバルの寮に負けて2位になってしまえば話は詰まらなくなるだろうし、7回も殺す描写をわざわざ丁寧に書けばグダグダになってしまうし、逆にあっさりしすぎると強者感が薄まってしまい、やはり詰まらなくなると思います。

繰り返しますが、物語というのは、その物語のエンディングを迎えるまで、あらゆる事柄がご都合主義で進むのです。

では、どうして批判する時の言葉として『ご都合主義』というのが出てきてしまうのでしょうか?
これはあくまでも個人的な考えですが、それは自分にとってその物語に勢いがあるかどうかだと思う。テンポ良く物語が進み、面白い勢いを持ったままならば、ご都合主義だったりは気にならないような気がします。逆に、勢いがなければ冷静に物語を分析してしまい、そういったご都合主義な部分が気になってしまうのだと思います。

実際、僕自身も自分が面白いと思って見た作品は、他の人に指摘されるまで物語の矛盾点だったりに気づかないことが多いです。逆に、個人的にあまり面白いと思えなかった作品は、まるで面白いと思えない理由を探すかのように、無駄に物語の矛盾点に目がいってしまいがちです。
ちなみに、僕は魔法少年の映画や聖杯を巡るノベルゲームはあまり面白いと思えず、矛盾点だったり「説明不足だろ」と思ってしまうような部分にばかりが気になってしまいました。そうして行きつく先が『この作品は結構ご都合主義な展開だったな』みたいな感想になってしまうのです。

娯楽というのは結局のところ、自分にとって楽しい(好き)か詰まらない(嫌い)かの2択しかないわけです。そして自分にとって後者の場合において「ご都合主義」というのは、とても批判しやすい台詞な訳ですよ。なぜなら上にも書いたように、物語というのはエンディングまでキャラクターと作中の出来事という舞台装置を組み合わせて進めるわけで、粗を探せば矛盾点や都合の良い展開の一つや二つは簡単に見つけられるものだからです。

稀に、AとBの首を切断したらAの首とBの胴体が繋がって、それが走って自分の部屋に逃げた後に死んだから、Aの首のBの胴体、そしてBの首とAの胴体が別々の部屋で見つかったというとても擁護のしようがないミステリもこの世の中にはあるらしいが、僕はその作品は未読であり、実際に読んでみたら勢いがあって「なるほど。そういうことだったのか」とかバカみたいに納得してしまう可能性は決してゼロではないのです。

そんなわけで、レビューを書くことをお仕事にしていて、そして実際にお金を稼いでいるプロの批評家さんなどには、作品を批判する際にはその作品のダメだった部分を論理的に解説して、安易にご都合主義だという言葉に逃げて欲しくないなぁとか思う今日この頃でした。

「最近の若い人は欲が無い」とか言われてるけど、ちょっと反論させてくれ

更新までに再び間が空いてしまいましたが、いちおう続ける気はある(つもり)です。
とまあ更新のたびにお馴染みになりつつある言い訳を入れつつ、本題へ。

恋人不在(積極的に作ろうとしない)だったり高級品(例えば車)を購入しない若者の増加から、「最近の若年層は欲が薄くなってきている」と言われてきているそうです。
実際、私自身も年上の方から似たり寄ったりな事を言われた経験が何度かあります。そういった時はとりあえず笑顔で「そうですかね~」みたいな感じでいつも返しているのですが、内心ではこう思ってます。

『別に欲は薄くなってねぇよ!』

この思いはあくまでも僕の持論であるため賛否両論あるとは思いますが、まずはどうしてそう考えているかの説明をしたいと思います。

例えば恋人。上記にも書いたように、積極的に恋人を作ろうとしない人は欲が薄いと見做されるそうですが、果たして本当にそうなのでしょうか。
政府の調査では、約4割の若者は恋人が欲しくないと答えたそうです。

ここで僕は、この調査は真実ではないと断言したいと思います。
『恋人が欲しくない』というのは絶対に嘘だ。私は現在独り身であるが、恋人は『欲しい』か『欲しくない』かなら『欲しい』と思っているし、独り身の人間のほとんどはそうだと勝手に信じ込んでいる。

ただ、重要な補足が一つある。
独り身で居る人間は『恋人』は欲しいが、決して『誰でもいい』わけではないのだ。
厳密に言えば、『金遣いが荒くなく、価値観も大きな相違なく、一緒に居て疲れず、必要以上に束縛せず、自分一人で過ごす時間や趣味に一定の理解を示し、そしてそこそこに容姿と性格が良い』という『恋人』が欲しいのだ。
この条件はさすがに盛りすぎているが、しかし誰しもがそういった条件を意識的、あるいは無意識的に設定しているものであるはずだ。
そしてさらに言えば、出来ることなら向こうから自分に対して好意をアプローチしてきてくれれば尚良しだと考えているに違いない。

このことを簡潔に書くと、『自分の理想に近い相手が、極力努力を必要せずに自分に好意を持ってくれなら恋人作るぜ』ということだ。
これってめちゃ強欲じゃね?

別の観点で、社会問題にもなっているニートの存在。
たしか、明石家さんの『ホンマでっか!?TV 』だったと思います。その中で以前、弁護士の方が裁判官が実際に被告人に向けて言った発言として、このようなものを紹介していました。

『人間誰しも働きたくないんです。私だって働きたくない。それが本音です。でも、働かないといけないんです』

記憶が曖昧なので正確ではないのですが、概ね間違っていないはずです。
この発言からわかることは、『働きたくない』というのは裁判官すら認めてしまっている、人間誰しもが持っている欲だということです。
そしてニートというのは、自分の親兄弟もしくは親族のお金を食いつぶしてそれを実践しているわけですよ。しかもそれが年々増加してるって。強欲ってよりはもう罪深いね。

とまあそんな感じで、昨今の若者って別に欲が薄いわけじゃないんだと思うんだよね。

じゃあ、どうしてそんな風に言われるようになったのか?
これも持論でしかありませんが、その原因は年配層が若者だった頃に比べて、現在の若者は市民権を得ていない欲望の選択肢が増えたという事だと私は考えています。
最初の方に書いたように、恋人不在(積極的に作ろうとしない)だったり車を購入しない若者の増加しているということは、つまりそれ以外に自分の資源(時間&お金)を使っているという事でしょう。問題は、その浪費している対象に市民権があるかどうかです。

例えばソシャゲに課金して無双状態になったりランキングイベントの上位に入る。
例えばフィギュアやグッズを収集してコレクションする。
例えばAKBの握手券付CDを大量に購入し、自分のお気に入りとメンバーとより多くの時間接する。

これらは、おそらくはまだ市民権を得ていない欲望であるでしょう。
1年間必死に働き、1000万貯金したとします。そのお金で高級車を買えば欲の強い人。そのお金を上記のような行為に使えば、欲が強いではなく、きっと『馬鹿者』であったり『浪費家』と捉えられてしまうはずです。

同じ時間と同じ金額を使っても、その対象で結局は評価が変わってしまうのです。
つまりはマジョリティーとマイノリティーの問題ってだけな訳ですよ。

まぁ、それが強いから厄介なんだけどね。数の力は偉大だ。

なので、もし誰かから「欲ないね」とか言われてむっとなっても、聞き流して適当に相槌を打っておくのが現代では正解だと思います。

 

考えをよく纏めないまま書き殴ったので、なんだかよくわからない内容になったしまいましたが、眠いし推敲とかも面倒なんでこのまま投下することにします。

最後に、映画『マイノリティ・リポート』を見てたらなんとなく『マイノリティ』って言葉を使いたくなってこの記事を書いたのは秘密です。

「イミテーション・ゲーム/天才数学者とエニグマの秘密」の感想

ベネディクト・カンバーバッチが主演をされた「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」を拝見したので、その感想を書いていきます。


以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。

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久しぶりの更新。復帰第一弾のテーマは「ソシャゲの課金って別に悪くないやろ」

お久しぶりです。
約四か月ぶりの久々の更新となります。

 

弱小ブログで定期的に観覧をしていてくれた方が居るかは不明ですが(もし居てくれたら心から感謝です。ありがとうございます。)まずは言い訳を。
一応ブログを続ける気はあったのですが、ここずっと僕の悪癖――面倒臭い病が発動しており、家に居ても特に何をするでもなくただただ積んでいた映画やドラマやマンガや小説を消化するという日々を送っておりました。ごめんなさい。
とまれ、そんな悪癖も治まり、積みも大分消化されましたので、また気分が乗った時にぼちぼちとブログを更新していこうと思います。

 

では本題。
今回はタイトルにもあるように、ソシャゲの課金についての個人的見解を書き綴っていきたいと思います。
この記事を書こうと思ったきっかけは、最近のとある知人との会話。
その知人は現在あるソシャゲをプレイしているのですが、その時の会話でこんな発言がありました。
「いくらソシャゲにはまっているからって所詮暇潰しだし、基本無料で遊べるのに課金するなんて金の無駄。それにいつサービス終了するかわからないし、現状での強キャラを引いても数か月。下手したら数週間で上位互換が出るんだから、課金なんてしたら負け。課金する奴は馬鹿だよ」
ここまで乱暴な言い方ではなかったですが、まあ要約するとこんな感じです。

これを聞いて、僕は疑問符を覚えました。
先に言っておきます。僕もソシャゲで遊ぶことは遊びますが、絶対に課金はしない主義ですし、実際にしたこともありません。これが僕のスタンスです。
しかし、僕は課金をする人を馬鹿だとは決して思いません。

理由は二つ。
一つ目は、そもそも借金をするとか他人の金を盗むとか両親のカードを無断で使用するとか自分が遊びたいがために家族に節約を無理強いするとか、そういうようなお金の浪費をする以外ならば、基本お金の使い方は人それぞれだと思うからです。
例えば僕は映画やマンガ好きなのでブルーレイやコミックスをよく購入しておりますが、それだって人によっては無駄に金を使っていると考える人も居ることでしょう。
ですが、当の本人――つまり僕ですが――はそれに消費するお金を無駄とは思いません。時折表紙買いをして失敗したと思うこともありますが、それだって自分が好きでやっていることなので、もし他人から批判されたら内心『好きでやってるんだから放っておいてくれ』と思います。
そんなわけで、自分のお金をパチンコや競馬などのギャンブルに使おうが、フィギュアやコミックに使おうが、ジャニーズやAKBやEXILEの多少の特典の違いや握手券などのために中身が同じのCDに使おうが、ソシャゲの課金に使おうが、それはその人の勝手です。放っておけばいいのです。
ただ、もしそれで借金をしそうだったりなど身を滅ぼしそうな人が身近に居ればそれはさすがに忠告はしてあげてください。

 

話を戻します。
二つ目は、そもそもそういった課金者がいるからこそ、自分たちもそのソシャゲを無料で遊ぶことが出来るからです。今回の件では、こちらを強く主張したい。
とある調査によると、ソシャゲのユーザー課金率は2%弱。つまり98%以上の人々は無課金でゲームをプレイしているそうです。
余談ですが、数多くのゲームが配信されてはその裏で数多くのゲームはサービスを終了しているソシャゲ戦国時代といっても過言ではない昨今。多くのソシャゲの大半は基本プレイ無料で遊ぶことができます。
では、何故基本プレイ無料なのか?
これは僕の勝手な意見ですが、とりあえずはタダという餌でユーザーを釣っておき、自分たちが開発したゲームに気軽に触れてもらう。後はゲームにはまったユーザーが居れば勝手に課金してくれるだろうという企業の思惑があるのだと思います。
他には、ダウンロード数を稼いで宣伝に使うというのもあるのでしょう。人は流行に左右されやすく、皆がやっていると分かればとりあえず自分もダウンロードをしてみようという気分になるはずだからです。それには、ダウンロード数(100万人突破とか1000万人突破)とかは一つのわかりやすい指標なのでしょう。
まあここでは人気ゲームかそうでないかは一旦置いて、再び話を戻します。
幾ら企業側の思惑があり基本プレイが無料とは言え、企業も慈善事業でゲームを配信し運営しているわけではありません。企業の基本理念は利益の追求です。
サービスを開始したものの、利益が見込めなければそのゲームはすぐにサービス終了という結末を迎えてしまいます。
つまり僕たちがタダでそのゲームを遊んで暇を潰せているのも、裏でそのゲームに対してお金を落とすユーザーが居てくれるからこそなのです。
もちろんゲームをプレイする度に『顔も名前も知らぬ課金者様ありがとう。あなたたちのおかげで今日もこのソシャゲをプレイできます。感謝します』などと思う必要はありません。寧ろ、そこまで感謝してる人がいたらそれはそれで怖いです。
しかし、やはり課金者がいるからこそ自分たちはタダで遊べているというのは紛れもない事実なので、無課金主義を貫く僕や知人のようなユーザーが、そういった課金者を馬鹿にするのは如何なものかと思うわけですよ、はい。

というか、人のお金の使い方にケチをつけてばかりの人って、自分はめっちゃ正しいお金の使い方が出来てると信じているのだろうか?
そもそも、正しい金の使い方ってなんだよ?
金を使えば経済が回るわけだから、どのような形であれお金を市場に落とせばそれは経済学観点では正しいんじゃないのかな?
まあ、人間関係がややこしくなるし、知人も決して悪い人ではないのでそんなことを言うことは出来ませんでしたが。

 

そんなわけで、簡単に言いたいことをまとめると「ソシャゲに課金している人をそこまで馬鹿にするのは止そうぜ。その人は好きでやってるんだからいいじゃない。でも金を得るために犯罪に手を染めるとか借金をするとか、周囲に迷惑をかけるのは駄目だぜ」ってことです。

イチロー選手の安打世界記録更新に対する、ピートローズ選手の発言についての個人的見解

大リーグでプレーをされているイチロー選手が日米通算安打で4257安打という世界記録を打ち立てた。イチロー選手と面識はありませんが、まずは素直におめでとうございます。日本人贔屓がないと言えば嘘になりますが、アメリカ本国で多少のケチがついているこの記録は本当にすごいと思います。

それと同時に残念なのが、先にも少しのべたようにこの記録に関してアメリカ本国で多少のケチがついてしまっていることです。アメリカではあくまでも日米で通算の記録であり、この4257本という安打数はあくまでも参考記録であると公式に発表されました。アメリカとしては、日本人が記録を打ち立てることをよく思っていないのかもしれない。その気持ちはわからなくはないが、やはり公式記録として認定されないのは残念だ。

そしてもっと残念なのは、公式記録保持者として4256安打という偉業を成し遂げたピートローズ氏の見解である。
ピートローズ氏はイチロー選手の事を褒めながらも『日本野球とメジャーリーグは同格ではない。イチロー選手はレベルの低い日本野球の記録も含んでいるが、自分の記録はあくまでもレベルの高いメジャーリーグの記録である。』というような旨の発言をしていた。
この発言を聞いて、僕は真っ先に思った。『いやいや、その考え方は違うだろうが!』と。確かに、トルネード投法で有名な野茂選手を筆頭に、イチロー選手や上原選手やダルビッシュ選手、最近では田中将大選手など、日本で活躍した選手はメジャーリーグに挑戦をする。このことからも、あくまでもランクとしてはメジャーリーグ>日本野球なのだろう。これは反論し難い事実である。だがしかし、だからといって果たしてピートローズ氏が現役選手として活躍をしていた時期のメジャーリーグイチロー選手がプレーしていた時期の日本野球』という構図が成り立つのであろうか? 
あくまで僕の主観でしかないが、答えは『ノー』だ。スポーツ科学は進化しているし、練習器具だって昔に比べれば性能は格段に上がっている。それにうさぎ跳びは練習として非効率だと判明したように、練習内容にだって効率化は進んでいるはずだ。
つまり、スポーツというのは日々進化しているのである。中には昔のほうが凄かったという人もいるだろう。確かにそういった部分もゼロではないはずだ。しかし、昔よりも現在の方が優れている面は圧倒的に多いに違いない。大体、ピートローズ氏が現役として活躍していた時期には、現在ほどに豊富に変化球があったのだろうか。カーブやフォークが魔球だと言われていた時代だってある。
そう考えると、もしダルビッシュ選手や田中将大選手。もっといえば、まだメジャーに挑戦していない大谷選手や藤浪選手がタイムスリップしてピートローズ氏が活躍していた時期のメジャーリーグで投球をすれば、彼は同じように安打を量産できるのだろうか?
これもあくまで僕の主観だが、それは難しいと思う。結局何が言いたいかというと、選手の質やプレーの質は、昔よりも確実に向上しているということである。だからこそ僕はピートローズ氏には、簡単に『メジャーリーグ>日本野球だから自分の方が凄い』と言ってもらいたくはなかった。寧ろ凄い記録を打ち立てた偉大な名プレイヤーだからこそ、もっと謙虚な姿勢でイチロー選手を認めて欲しいと思いました。本当に残念です。

最後に、イチロー選手すげえ。日本の片隅でこれからも応援しています。

万引きGメンすげえ。――と、思ったらマジシャンすげえ。

水曜日のダウンタウン』を見ておりました。知らない人も居ると思うので簡単に説明すると、この番組は『ロメロスペシャル整体中にかけられても気づかない説』などのあらゆる説を検証するという番組です。
その『水曜日のダウンタウン』の本日放送分の中で、『悪いマジシャンに本気出されたら、万引きGメンでも見抜けない説』というのものがありました。

 

この説の検証方法として、貸し切りをしたスーパーの中に十名の客を入れて制限時間一杯に普通に買い物をしてもらう。その十名の中にマジシャンを二名忍ばせる。万引きGメンも二人体制で、死角無く設置された防犯カメラをチェックする係と店内を巡回して監視する係に分かれてマジシャンを見つける。制限時間後、万引きGメンは順番に退店する客の中でマジシャンだと思った人物に声を掛け、万引きした商品を言い当てる。この際、万引きGメンから声を掛けられないor声を掛けれても万引きした商品が2品以上当てられなければマジシャンの勝利。逆にマジシャンを正解させ、見抜けなかった万引き商品の品数が2品未満なら万引きGメンの勝利という検証方法でした。

 

最初は正直、万引きGメン相当に不利じゃね? とか思っていたですが、開始早々に万引きGメンは挙動が怪しい(ちなみに、僕にはどこが怪しいのかまったくわかりませんでした)とマジシャンに見当をつけたり、欠伸をしていたということだけで候補から除外していたりしていました(しかもそれが正解なのです)。

 

そして制限時間後、万引きGメンはあっさりと一人目のマジシャンを見抜きました。僕は『万引きGメンすげえ』と思いました。しかし、ここから僕はさらに驚きを覚えました。何故なら、万引きGメンがすごかったのはここまでで、後はマジシャンの凄さを大いに見せつけられたからです。
一人目のマジシャンが万引きした商品はカップ麺とマヨネーズ(小型のもの)と万引きGメンは宣言しましたが、それはまったくの不正解でした。そして答え合わせのためにマジシャンが万引きした商品を取り出すと、出るわ出るわ。お菓子のラムネなどの比較的万引きし易そうな商品から、キュウリやキウイ。さらにはお魚一尾まるまるなど、その数実に十五品。それだけ万引きしておいても、万引きGメンは一つも見抜くことはできなかったのです。
そして二人目は、怪しまれこそしたものの、なんとマジシャンだと見破られることさえありませんでした。怪しかったが、盗んだような挙動をしていなかったというのが除外の理由だったそう。その万引きGメンさえ欺いた手口はなんと、偽物の右手でカートの取ってを握っているように装い、その実、隠していた本物の右腕で堂々と万引きを行っていたのです。その人の万引きした商品の中には、どこにかくしていたのか長ネギさえありました。

 

つまり、結果としてはマジシャンの圧勝です。しかし、これは決して万引きGメンの方が悪いわけではありません。寧ろ、すぐに怪しい人間とそうでない人間を見分ける彼らの能力は普通に凄いと思います。たが、それ以上にマジシャンの洗練された手の器用さや業が凄かった。それだけなのです。さすがに、普段から衆人環視の中でトリックを見破られることなくマジックをやってのけるマジシャン。凄い人になると、トランプの束の中から真上のカードを取ると見せかけて任意の場所のカードを抜き取ることさえできるらしい彼らマジシャンの日々の訓練の賜物です。そんな彼らが本気を出せば、幾ら常人よりも観察眼さ優れているからといっても、二人程度の人数を欺くことはそう難しいことではないのかもしれません。
僕はそんなマジシャンを見ながら、ずっとテレビに向かって『マジシャンすげえ』と声をあげていました。

 

ちなみに、番組でも注意喚起がされていましたが、万引きは立派な犯罪です。このブログを見たからと言って、決して万引きをしないでください。また、万引きなどの犯罪に利用するためにマジックを習得しようorマジシャンを目指そうなどとは決して思わないように。
マジックは素晴らしい娯楽の一つです。そのマジックという娯楽をを生み、それを洗練させてきた先人や現代の熟練者と、その文化性を崩壊させないためにも、マジックの技術を犯罪に利用されることがないことを願っています。